武家屋敷のある殿町の谷あいに残された切支丹洞窟礼拝堂跡です。岩盤に掘り込んだ内部はドーム状の祭壇になっています。前面には5つの窓と屋根部分がくりぬかれていて洞窟礼拝堂を彷彿とさせます。その前に礼拝のスペースが木造であったものと思われます。隣には司祭が住んだとされる洞窟があります。戦国時代末期の岡城主 志賀親次は熱心な切支丹だったので、竹田(たけた)や朽網(くたみ)に多くの切支丹が住んでいたとされています。
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武家屋敷のある殿町の谷あいに残された切支丹洞窟礼拝堂跡です。岩盤に掘り込んだ内部はドーム状の祭壇になっています。前面には5つの窓と屋根部分がくりぬかれていて洞窟礼拝堂を彷彿とさせます。その前に礼拝のスペースが木造であったものと思われます。隣には司祭が住んだとされる洞窟があります。戦国時代末期の岡城主 志賀親次は熱心な切支丹だったので、竹田(たけた)や朽網(くたみ)に多くの切支丹が住んでいたとされています。
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