境の松石畳

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歴史の道 豊後(肥後)街道

「境の松石畳」約200m

肥後藩の参勤交代道路の一つである「豊後(肥後)街道」。熊本城から大津宿、二重峠、的石、内牧宿、坂梨、滝室坂、そして大分県と熊本県の県境、この“境の松”から大分県に入り、久住宿、今市、野津原、鶴崎宿までの総距離124km。当時は5日間をかけて歩いたそうです。

街道は熊本城を起点として、4kmごとに一里塚(一里は4km)が設けられ、竹田市久住町の神馬の石橋と久住宿の間にある一里山石燈籠は18里目と考えられています。

幕末の1853年(嘉永6年)に、ロシアの艦隊が長崎に入港したと聞いた吉田松陰は、鶴崎に上陸後、この豊後(肥後)街道を通って長崎に向かったそうです。
11年後の1864年(文久4年)、幕府からの特命で勝海舟は佐賀関に上陸し、豊後(肥後)街道を通り長崎入りしています。この時に、師弟関係にあった坂本龍馬は勝海舟に同行したと言われています。

場所:竹田市久住町添ケ津留 (奥豊後グリーンロードを走り、三本松公民館から約2km。)
Google map➡ https://bit.ly/2LfeqtF

参勤交代:江戸幕府が諸大名を江戸と国元とに一定期間ずつ交代で居住させた制度。

住所
大分県竹田市久住町添ヶ津留
駐車場
2台ほど
エリア
城下町・竹田エリア,久住高原エリア
アクセス
竹田市久住町添ケ津留 (奥豊後グリーンロードを走り、三本松公民館から約2km。)
Google map➡ https://bit.ly/2LfeqtF

ジャンル
歴史・史跡・神社