『サフラン生産者・阿南順子さんとじり焼き ―私とじり焼き 後編―』
2021年12月03日
竹田の郷土おやつ「じり焼き」の魅力を伝えていく、じり焼きプロジェクト。
今、竹田の道の駅などでは、今シーズン開花したサフランの花芯が多く並んでいます。
道の駅の女性スタッフも「どんどん新しいサフランが入ってくるんよー」と嬉しそうな表情で教えて下さいました。
そんな竹田のサフランを40年以上栽培し続けていらっしゃる竹田市恵良(えら)の阿南順子さんに、サフランじり焼きを作って頂きました。
今回は、その後編です。
「じり焼きは、小さい頃からね、母が作ってくれたんよ。」と順子さん。
幼い頃どんなじり焼きを召し上がっていたのか、伺いました。
農作業で毎日忙しかったお母さんが作ってくれたおやつがじり焼き。
地粉とお塩、お水に、黒砂糖が少し入ったシンプルなもの。
特に秋は、学校からお腹を空かせて帰ってくると、
机の上に「田んぼにおやつあります。」という置き手紙があり、
急いで向かうと、田んぼの隅っこにある柿の木の下に
いつもじり焼きが用意されていたのだそうです
そして、じり焼きを食べたら、かけ稲などお母さん達のお手伝い。
お母さんの見事な美味しい作戦で、農作業のお手伝いをしていたことがじり焼きの想い出と聴かせてくださいました。
さらに、昭和51年に、ご主人のもとへお嫁に来てから40年以上、サフランの生産者として、栽培を続けてこられた順子さん。
ご主人のお家では、竹田にサフラン栽培を広めた吉良文平さんからサフランの球根を譲り受け、約100年前から栽培をしていらっしゃいます。
子どもが生まれ、ご自身がお母さんになると、今度はじり焼きを作る側に。
「昔は、この辺にはスーパーが無くて、お惣菜とか野菜を買う『つしま屋さん』ぐらいしかなかったから、おやつも手作りだったんよ。」と。
今は、ちょっと車を走らせれば、スーパーやコンビニで、ありとあらゆるスイーツが手軽に手に入りますが、そうではなかった時代。
忙しい中でも、お母さん達がお腹を空かせた子供たちの心とお腹を満たしたいと手作りしていた想いが伝わってきます。
順子さんの住む恵良では、かつて10軒ほどの集落のうち、8軒がサフランを生産していましたが、現在は僅か3軒。
ここ10年で減少してしまったのだそうです。
そんな中でも、順子さんの丁寧で高品質が保たれる収獲方法とお客様を大事にするお人柄が評判を呼び、年々サフランを使いたいお客様が増え、有名シェフや飲食店での使用など、全国各地からお問い合わせが来ているのだそうです。
竹田では、道の駅等で購入できるほか、城下町にあるさふらんごはんでは、順子さんのサフランを使用したサフランライスが味わえます。
「来年はね、サフランの栽培数を増やそうと思ってるのよ。」と嬉しいお話も聴かせて下さいました。
竹田の秘められた花、サフラン。
そして、順子さんが作って下さったサフランじり焼き。
時代が変わり、暮らしが変わる中でも、伝え継ぎたい大切なものがあること。
家族や訪れた人、自身とご縁のある人を大事にすること。
また、人だけでなく、順子さんの綺麗に整えられたお家やサフランの扱い方を見ていると、全てのものに愛を持って暮らしていらっしゃるんだなと感じました。
竹田では昔、風邪を引きそうなとき、お母さんやおばあちゃんが、サフランをお湯に入れて出してくれて、お薬代わりに飲んでいたそうです。
血の巡りを善くして、身体を温めてくれると言われ、生薬として広まっていたサフラン。
サフランとじり焼きに共通する「慈愛の心」を感じ、目に見えないぬくもりで包まれました。
順子さん、ご馳走様でした。
記事:齊藤美絵(ツタエルヒト。フードマエストロ)
写真:竹田市観光ツーリズム協会、 齊藤美絵